君と空を飛ぶ
「ばいばい」
艶やかな、飾り玉みたいな目が強く焼きついた。
腰掛けたベランダの手すりを突き放し、真っ逆様にアナタは視界から消えた。
髪が黒い風に吹き上げられて、視界を邪魔する。
夜闇に紛れた黒い影は、それで 一層見つけられずに。
早く中に入りな、風邪を引くよ?
耳元で、アナタの声が聴こえた気がした。
「紗弥」
夜闇がベッドタウンを包む。
アナタがまた、窓を叩く。
ベッドサイド 耳元に囁くように。
大人達が噂している。
この頃、紗弥はよく眠るようになったって。
横たえていた体を起こし、私は窓を開けた。
微笑むアナタに、私の笑顔が曇りなく純粋に見えていますように。
照らす月の光のように、柔らかく美しく。
嘘。
こうして夜闇に訪ねて来るアナタを待つ為に、健全な生活サイクルを放棄した。
月明かりと、眼下を走る車道の逆光。
眠れない苛立ちを感じていた其れも、今は黒い羽根を小さく広げて、黒尽くめのアナタを浮かび上がらせる光で。
ねぇ、とっても愛しい。
「こんばんは」
小首を傾げた。
アナタの頬にはねた誰かの赤い血には、見ないフリ。
あれは、もうどのくらい前のことだったかしら?
そんなに前じゃないわね。
1週間?2週間は経っていない?
アナタが私に、終わりを知らせに来た日。
「君の命を狩りに来た。」
そぅ、と 私は言った。
それに対し 驚き怯えて錯乱するほど、可愛らしい期待なんて抱いちゃいなかったから。
アナタは、つまらなそうに口を尖らせたわね。
よく覚えている。
「狩りに来た」という割りに、ただそのときを待ち伏せるように
毎夜訪れる、アナタに出会った日のこと。
「紗弥、空を飛ばない?」
夜毎訪れては、他愛も無いことで時間を潰していく彼が 今夜はそう言った。
笑う上等な石のようなその目が、少しだけ寂しげに見えたなんて 自惚れかしら?
「いいよ。」
目を細めて、差し出されたその手をとった。
ベランダの手すりに立ち上がり、私の手を引いて引き上げる。ピーターパン。
思わず連想したけれど、随分とまぁ黒いピーターパンで 可笑しかった。
ゆらり。
アナタの身体が手すりの外へ傾ぐ。
手を繋いだ私も、引かれるままに落ちる。
抱きとめられれば、頬を凄い速さで風が掠めた。
そのときが、来たのだ。
空の上から、然して美しくもない街を眺めた。
古ぼけた商店街。
小汚い川に架かる橋。
使い古された6車線の道路。
ひとつひとつ、決して美しいとは思わなかった。
けれど、それぞれに明かりが点り
その向こうに浮かぶ月の情景を、私は愛していた。
「紗弥」
アナタが、名前を呼ぶ。
不自然に留まる空で、私が落下しないように抱え続けてる。
振り返って微笑んでみれば、あぁ なんて顔をしてるの?
命を、狩りに来たと言ったくせに。
この心臓は、もうすぐ停まる。
目を閉じてアナタに、触れるだけの口付けをした。
ほら、ねぇ ちゃんと迎えに来てね?
「ありがとう」
とん
と、驚いているアナタの胸を押した。
留めていた腕を離れ、落下する視界。
目を閉じて、視覚から手放した。
最後に映したのは、アナタの顔が良かった。
サヨナラ、愛しいひと。
私を我が侭にしたのは、終わりを知らせたアナタだから。
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