寒い季節の匂い




「あれ、高橋君?」
 聞き覚えのある声に顔を上げたけれど、思い切って短く切った髪の君が、少しの間分からなかった。
「…青木さん?」
「ん?今なんか、間があったよね?」
 いたずらっぽく目を細めて、彼女は言う。
「いや、髪切ってたからさ。一瞬わかんなかった。」
 往来には、寒そうに首を竦めて歩く人が沢山いて。雪こそまだ積もらないけれど、路傍に植えられた銀杏の、色づいてかさかさに乾いた葉っぱが、風に舞った。
「うん。この間切ったの。可愛い?」
小首を傾げて、おどけて見せる君に、俺は笑う。
「可愛いよ。よく似合ってる。」
「ありがと。」
これから寒くなるのにね。そう言って、彼女も笑った。
「高橋君、ひとりなの?」
 大学前のスーパーから出てきた俺を、彼女は不思議そうに見て、聞いた。
「うん。あいつ、折角遊びに来たのに風邪引いて倒れちゃっててさ。」
 そう言って、買い物袋を軽く持ち上げて見せた。中には、りんごと桃缶と、冷えピタ。
 うちの大学から、実家に帰るまでの中継点にあるこの町に住む親友を、俺は時々尋ねてくる。
「うわ。風邪なんて、もうそんな季節?大丈夫なの?」
「うーん。まぁ、大丈夫でしょ。
こうやって、かいがいしく看病してくれる俺がいる訳だし?」
 心配そうに言う彼女を、俺はわざと茶化して応えた。
 そういえば親友は、半年以上彼女と連絡を取っていないはずで。そう考えると、よくもまぁ俺なんかに声をかけるほど記憶に留めていたと思う。この間まであんなに、彼のことばっかり見ていたくせに。
「青木さんは、どうしたの?」
「私?私は、ちょっと図書館に本を返して来たところ。延滞すると、後が怖いからさぁ。」
だからこんな寒い中を、わざわざ出掛けてきた訳よ。と、空に白い息を吐きながら、寒そうに彼女は言った。
 はぁっと、吐き出された水蒸気の塊が、白く凍ってすぐに消えた。
「じゃあ、もう帰るトコ?」
「うん」
「じゃ、そこまで一緒に行こうか」彼女の家は、通り道だから。
 ふたりで、肩を並べて歩き出した。
「高橋君、もしかしてもう冬休み入ってるの?」
 うちの大学の方が、夏休みに入るのが早かったから、彼女はそんなことを聞く。
「まさか。いくらなんでもねぇ。」
「え、じゃあ、看病しにわざわざ?」
それこそまさか、という風に彼女は眉をひそめた。「まさか。」
 ちょっと休講で、連休が出来ただけ。
「ねぇ、もう雪降った?」
 白く凝った空を眺めて、俺は聞いた。
「うん。まだ積もるほどじゃあないけど。
 アラレみたいなのは何回か降ったよ。」
 つられるように、彼女も空を見上げた。
「天気予報だと、明後日くらいから雪マークが付いてたから、そろそろ積もるのかもね。」
 吐く息がいちいち白いのを見ると、それもまた仕方が無いことだと思う。歩きにくくなるなぁ、と、彼女はぼやいた。
「そっちは?もう降った?」
「いやぁ、まだだなぁ。
 あ、初雪は降ったって、テレビで言ってたけど。俺は見てないし。
 やっぱり、こっちより温かいからね。」
「そうかぁ。」
寒いのは、嫌だなぁ。そう言う彼女は、ごくごく自然に見えた。どうして。君は、彼のことが好きだったのに。
「ねぇ、青木さん」
「ん?」
 彼女の目が、少し大きく開かれてこちらを見た。あんなに、彼のことを追いかけていた目が。
 ごろごろ、と、高い空で、雲の動く音がした。
「俺ね、青木さんのこと好きだったよ。」
 冬になると飛んでくるカラスの群れが、ぎゃあぎゃあと騒いだ。この町は、刺すように冷たく、気温が下がるから。
 何を言い出すんだといわんばかりに、彼女は俺を見つめていた。
「あいつと、うまくいけば良いって思ってた。」
ずっと。
 喉を広げて息を吐くと、目の前に沢山の白い塊が出来た。肺の中で温かくなった空気が、沢山、冷たい外に出て。
 彼女は、笑っていた。
 笑っていたけれど、それは凄く寂しそうに見えた。
 それが、この半年で彼女が出した答えなのかもしれない。と、俺は思った。

「ありがと。」
 それだけ、彼女は言った。



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