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鍋の日 白菜は、4分の1カットで良いか。ふたりだし。しかし、何鍋にしようかなぁ。とりあえず何にするにしても、白菜は買っておけば良いと思う。 ふと目をやると、この季節。白菜の隣には、メーカー各社が趣向を凝らした様々な鍋用スープが、賑々しく鎮座ましましていた。ベーシックな寄せ鍋から、近年俄かに定番化したキムチ鍋に、豆乳鍋。ほほぅ。最近は、トマトベースなんて変わり者もいるのね。 妙にインパクトのある名前が付けられた、味噌味鍋つゆのパックを手にとってみた。3〜4人前用。ストレートで、豚肉やニラを入れて煮込めば良いらしい。 鍋つゆの奥に、芸能人の似顔絵が目印の煮込みラーメンもあった。これも、好きなんだよなぁ。2〜3人前か。私は、手に持っていた味噌鍋のつゆを立てかけるように返した。 今夜は、彼と一緒にいられる。 新月だから。月の光が、彼を散らしてしまわないから。だから今日はもっと、シンプルなものにしようと思った。私以外の、誰の手も入らなくて良い。 結局私は、白菜と、たらと、美味しいポン酢醤油を買って帰った。寄せ鍋というには、全然寄り集まっていないけれど。それでも、鍋で煮たら鍋だ。 土鍋を出してきて、水を張る。軽く埃を拭き取った昆布を浸けて、昆布出汁を取るのだ。 浸けている間に、具材の準備を。白菜は葉の柔らかい所と軸を分けて、葉は大きくざく切り、軸は火が通りやすいようにそぎ切りにする。たらも、一口大のぶつ切りにして。 土鍋を、中火にかける。中火でゆっくり加熱すると、昆布の旨みを十分に引き出せる。らしい。テレビで言っていたけれど、何かそんなに違うのか疑わしい所ではある。私の舌がそんなに敏感でないということか。料理人として、これは問題なのかもしれないな。まぁ別に、プロでもないから良いか。 ぱち、ぱち、ぱちん。と、何処からとも無く、いつもの音がした。あぁ。この音だ。心の奥が、少しどきどきする。 沸いてきた鍋に、塩と醤油で薄く味をつけた。お酒も。まずは味の出るたらと、火の通りにくい白菜の軸の部分を入れて、いったん鍋に蓋をする。どちらかというと白菜はくったりした方が好きなので、早めに入れてしまう。 たらと白菜が煮えている間に、ふたりぶんの取り皿と箸を用意した。少し深めの小鉢。箸は片方が使い古しで、片方は新品同様。ちょっと奮発して買って来たポン酢醤油も、封を開けた。きっと余る。沢山。 シメは、ご飯を入れて雑炊にしようと思っている。玉子もある。コンロの上で鍋が吹いてきたので、少し蓋をずらした。もう良いかい? たらに大体火が通ってきたようなので、白菜の葉の部分をうわぁっと載せて蓋をした。葉の部分はすぐにしんなりする。一呼吸おいて、火を止めた。 熱くなっているので、鍋つかみを出してきて取っ手を持ち、炬燵の上に設えた食卓へと運ぶ。「おまたせ」いつの間にか現れて、既に食卓に座る彼に、私は微笑みかけた。「良い匂いだね」彼も、ふわりと微笑んだ。 今日は向こうが透けて見えたりしない。新月だから。卓の中心に鍋を置いて、蓋を開けた。 「今日は、鍋にしたの。冬らしいでしょう?」 小さいお玉で、たっぷりの汁と一緒に具を取り分けて、ポン酢をかける。「うん、美味しいよ」彼がそう言ってくれたのが、私は嬉しかった。そう言ってもらえるのも、新月の夜だけだから。「ありがとう」 私も、汁を一口啜った。白菜とたらの味がよく出ている。「うん、成功。」上々の出来上がりに、我ながらにんまりした。 それは、溢れるくらい幸福だった。彼は目の前に座り、すぐに崩れる小皿の中のたらと格闘していた。「ねぇ」あんまり愛しくて、私は声をかける。ん?と彼はようやくつかんだたらを箸に持ったままでこちらに注意を向けた。 「ねぇ、大好きだよ。」悲しいくらい愛しかった。だから私は言った。「あなたが幽霊でも、私はあなたが大好きだよ。」そこにいてくれる人。出来るものならば、いつまでも側に。 私は、泣き出しそうな顔をしていただろうか?彼の手が卓の向こうから、そぅっと、私の頭を撫でた。困ったように、優しく。 「あっ、ねぇ、これ七味入れても美味しいんじゃない?」突然、彼は言い出した。「あぁ、そうかも。あるよ七味。持って来ようか」「うん」会話が急に日常の次元まで下りてきて、私は席を立った。台所へ向けて、彼に背を向ける。 ぱち、ぱち、ぱちん。後ろの方で、あの音が聞こえていた。 少なくとも今日は、彼はそこにいる。新月だから。七味を探しながら、それだけを考えることにした。 この作品は、雨京さんからのキリ番リクエストにより、お題「鍋」で書かせていただきました。 |