CORONA




「ちょっと下まで来て下さい」
 そう書かれたメールが届いたとき、「来たか」と思った。大学近くの居酒屋の2階で、私達のサークルの例会は行われる。週に三回、火木土。私は、君が好きだった。
 かんかんかん。なるべく足音を響かせないように注意して、螺旋階段を下る。何となく、皆に気付かれないように。外は、いきなりありえないほどの雪が降っていた。来た時には何も無かったのに、あっという間に。この雪は積もるだろう。そう思った。
 君は寒いのが苦手なくせに、それでもそこで待っていた。寒そうに首を竦めて、恨めしそうに空を見ていた。
 私に、そのことを言うために。
「ユカさんと、付き合うことになったんです。」分かり難いけれど、少し緊張した口調で、君は言った。
 店の外には、雨が吹き込まないように囲いが出来ているものの、冷たい風にはそんなもの、何の関係も無かった。軽い雪が、時々ふわふわと入ってきた。
「そう」私は言った。君は、真面目な人だなぁと思った。
 胸に響く痛みなんてものは、むしろ無くて。というより、私のこの気持ち自体、声に出したらそのまま、音と一緒にすぅっと消えてしまうんじゃないかと思っていた。
「良かったね。」だから私は、にっこりと笑った。「どうも。」猫背をもう少し丸めて、君は言って。話は、それだけだった。
「いい奴だなぁ、君は」何を言ったら良いか分からなくて、そんな、訳の分からないことを言ってみたりもした。これで何も無かったことになる。そう信じていた。室内に続く扉を開けた私達を、冷たい空気が追いかけてきた。
 泣いたら、良かったのかもしれない。
 かんかんかん。再び、螺旋階段を上った。サークルの仲間達が屯する場所に帰った。何かが酷く、胸の辺りにもたれていた。
「コロナ下さい」カウンターに行って、私は輸入物のビールを頼んだ。ビールはあまり好きじゃないし、殆ど飲んだことも無いくせに。だけど今は、甘いカクテルじゃあ駄目だと思ったから。
 格好悪いなぁ、自分。振られたその場でお酒を頼むなんて、あてつけかやけ酒にしか見えないじゃないか。
 本当はそんなことしたくなかった。全くもって、何も無かったように振る舞いたかった。私は傷付かないって、見せ付けたかった。なのに。
 私の意志とは関係なく、何かを喋ろうとすると次々に、自棄的な言葉が飛び出すのを止められなかった。みっともないってことくらい、嫌というほど分かっていた。
 差し出されたビールを、思い切り煽った。飲むしかないと思った。いっそ酔い潰れてしまえ。何だか、いたたまれなかった。私は、それほど彼のことが好きだったのだろうか?
 自分がショックを受けているらしいということが、理解できなかった。そうなのかな、と思っても、とんと実感が湧かなかった。どれだけ言葉を尽くしても、この気持ちを表す言葉を、私は知らないと思った。
 ぐいっと、ビールを煽ったら、小さな瓶はあっという間に無くなってしまった。
 何て滑稽な自分。
 笑って私の話を聞いていた友人は、実は私以上に、彼を好きだということを知っていたのだろう。空っぽになった瓶を、しばらく見つめていた。
 この気持ちを、恋なんて名付けるんじゃなかった。それは、的確な表現だと思う。アルコールの代わりに瓶に詰めて、そこに置いて行けたら。
 中身の無い瓶に、意味もなく蓋を閉めた。一足先に帰っていく君を、私はもう、呼び止めなかった。
 ただ。
 私は君に言いたかった。今その手の中にあるものを、大切にしなさいと言いたかった。自分のことは見えない。君にだって見えてなかった。
 私は、そう言いたかった。




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